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  • 鹿苑第2号

    2018/03/06

    樹源寺 法話箋鹿苑第2号    2016年 秋冬

    暑い夏もあっという間に終わり、一気に寒くなってまいりました。樹源寺のお檀家の皆さまにおかれましては、お元気でお過ごしのこととお慶び申し上げます。

    さて、既にご報告させていただいたのですが、この度私は、平成28年度日蓮宗大荒行堂という修行に入らせていただくことになりました。期間は100日間ですので、約3ヶ月間樹源寺に不在になるということです。その間、お檀家の皆さまにはご迷惑をおかけしてしまいますが、何卒宜しくお願い致します。

    さて、突然ですが「アリとキリギリス」のお話はご存知でしょうか。

    ①アリは夏の間、冬に備えてせっせと働き食料を蓄えていた。

    ②一方、キリギリスは夏の間働きもせず、歌を歌って過ごしていた。

    ③冬になり食料のないキリギリスはアリに食料を請いに行った。

    ④すると、アリはキリギリスに、「どうぞ遠慮なく食べ物を食べてください。」と言い、食料を与えた。

    ⑤キリギリスは、アリの優しさに感動して、改心し、夏の間も真面目に働くようになった。

    以上が、皆さまもよく知っている、日本に普及している波多野勤子監修『イソップ物語』(小学館)の概要だと思います。しかし、この物語の結末にはもう1パターンあるそうです。

    すなわち、①〜③までは右の通りなのですが、

    ❹すると、アリはキリギリスに、「君は夏の間歌っていたのだから、冬の間は踊ればいい。」と言って、食料を与えることを断った。

    ❺キリギリスはアリの言葉に触発されて、「そうだ。自分は夏の間あれだけ楽しんで歌ったのだから、もう悔いはない。アリさんどうか僕の死骸も食料として、生き延びてください。」と言い、死んでいった。

    という結末です。④⑤を結末とする物語から読み取れる教訓は、一生懸命働くこと、また、人を思いやることが大事だということでしょう。一方、❹❺を結末とする物語からは、生きとし生けるものにはそれぞれの生き方があり、その生き方の責任はそれぞれにある、という教訓が読み取れるでしょう。

    どちらの結末もとても良い教訓であると言えます。しかし、いかにも現実的であると考えられるのは❹と❺を結末とする物語でしょう。仏教の教えに近いのも、❹❺の結末だと言えるでしょう。

    仏教徒の目的は成仏することです。成仏するために私たちは人生という修行をしています。その間に、それぞれの人が各々のやりやすい、精神的にも肉体的にも安定を図れる方法を見つけ出すことが肝要であると思います。しかし、その自らがやったことにしっかりと向き合い、それを背負い、責任を取るという但し書きが付随することは否めません。

    夏の間歌って過ごしたことを後悔せず、自分らしい生き方だと理解し、アリに迷惑をかけずに、むしろ最終的にはアリの食料となって死んでいったキリギリスのような生き方を、日蓮聖人は「法華の修行」とおっしゃったのだと思います。

    もっとも、④⑤を結末とする物語を教訓とするか、❹❺を結末とする物語を教訓とするかは、私たちそれぞれの生き方に即さなければならないことは、言うまでもありません。

    樹源寺のお檀家の皆さまの安泰、ますますのご活躍をお祈りして、ご挨拶とさせていただきます。

    我此土安穏 天人常充満

    最後までお読みいただき、ありがとうございました。

    日蓮宗妙秀山樹源寺 副住職 日比宣仁 慈翔院日仁